竹島問題とは何か 書評
内容紹介
発売日: 2012/12/20
歴史分析の光に照らし、学問的に確実に言いうることとは何か。日韓双方の史料に精通する著者が、過熱する両国の自己中心的な議論を乗り越えて、近世から現代に至る竹島問題の全体像を余すところなく描き出す。不毛な論争を終わらせ、冷静に問題に向き合うための必読の著作。
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)
歴史分析の光に照らし、学問的に確実に言いうることとは何か。日韓双方の史料に精通する著者が、過熱する両国の自己中心的な議論を乗り越えて、近世から現代に至る竹島問題の全体像を余すところなく描き出す。不毛な論争を終わらせ、冷静に問題に向き合うための必読の成果。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
池内/敏
1958年愛媛県に生まれる。1982年京都大学文学部卒業。1991年京都大学大学院文学研究科博士後期課程中退。鳥取大学教養部講師、助教授などを経て、名古屋大学大学院文学研究科教授、博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
登録情報
単行本: 402ページ
出版社: 名古屋大学出版会 (2012/12/20)
言語 日本語
ISBN-10: 4815807183
ISBN-13: 978-4815807184
発売日: 2012/12/20
最も参考になったカスタマーレビュー
7 人中、7人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 竹島の帰属を語る前に、まず歴史の真実を知ろう 2012/12/28
By qingxiu
2012年の後半、ぼくの中では領土問題がマイブームだった。いろいろ読んだが、感想を書く余裕があまりない。そんな中で本書はまず書いておこうと思った。池内敏さん(名古屋大)の名は堀和生さん(京都大)の名前とともに印象に残っていたからだ。ためらうことなく買い、最後まで一気に読んだ。いつも思うが、いい論文、著書というのは専門外の人間にも共感を与えるもので、池内さんのこの本はそのお手本のようなものである。読者を引きつける、読みやすさの原因の一つは原文を引用するとき、現代語訳を出し、原文をあとに添えたり注にまわしているからである。これだと専門外の人間でも負担が少ない。うまい。もう一つは、論証の過程がとても緻密なのである。ちょうど、中国語学でいえば音韻論の論文を読むような謎解きに似た快感を覚える。それはたとえば『穏州視聴合記』にある「然則日本之乾地、以此州為限矣」の「此州」がどこを指すかが従来問題とされていたが、池内さんは、この資料の中での「州」あるいは「島」の用法をすべてあげ、その「州」が当時の竹島(鬱陵島)ではなく隠岐国のことであるとした。また、韓国の古地図にある、「于山島」=竹島とされてきた説に対し、これを100枚以上の古地図を調べ、そうでないことを証明したなどである。
「竹島」は古来鬱陵島の付属島として考えられてきた。その鬱陵島に対し幕府は何度も日本領でないことを認め、渡航を禁じてきた。
竹島が日本領となるのは1905年、ちょうど韓国が保護国化される手前で、これが日本の植民地化の過程の一つとして問題になるのだが、そのころまでは日本も日本領とは考えていなかったのである。一方韓国も、一時は空島化政策がとられていたほどで(そのため自然が保護された)領土意識はなかったが、日本が「先占」するのとほぼ同じころに領土意識をもつようになっていったようだ。だから、結論としては、どちらにとっても「固有の領土」ではなく、20世紀初頭になって領土意識が芽生えたのである。また、サンフランシスコ条約で「竹島」の帰属が日本と韓国の間でどんどん変わっていったことと、それに絡むラスク書簡の判断の根拠を問題にする。それは要するに、本当はどちらのものとも言いかねるという結論になるのである。ここからどうすべきか。道はおのずと示されているが、池内さんはそれ以上を語らない。
.
・斎藤豊仙”隠岐州視聴合記””国代記”;高麗の地を望見すること、雲州より隠岐州をのぞむがごとし;この文のあと”日本の戌亥(北西)の地、此の州をもって限りす”としめる。”此の州”はどこか?高麗を望見できなければならない、隠岐の(郡)本島からでは、いかに精神統一・気合を入れても、裸眼では無理だと思われる。故に、鬱陵島=磯竹島を日本の北西境界としていたことがうかがわれる。
返信削除