2012年12月22日土曜日

双方の主張に疑問点 池内敏

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双方の主張に疑問点
名古屋大教授 池内敏氏

近世日朝関係史が専門。史料の実証研究の立場から竹島をめぐる日韓の主張を検証。韓国・檀国大東洋学研究所特別研究員の経験もある。53歳。(2012年11月1日現在)

歴史的にも、国際法的にも、明らかに我が国固有の領土。日韓政府は竹島(独島)について互いにこう言い張り、一歩も譲らない。だが、それぞれの主張には見逃せない弱点がある。

韓国側は、古文献や地図に現れる「于山島」が竹島を指し、千年をはるかに超える領有意識があったとする。だが子細にみると、とうてい竹島と解せないものを数多く指摘できる。于山島を無条件に竹島と置きかえる主張は成り立たない。

また、日本編入に先立つ1900年、当時の大韓帝国が勅令で「石島」を鬱陵島の郡守の管轄下に置いたことについて、石島は竹島だと断定し、領有意思の証拠とする主張も同意しがたい。「石島=竹島」と直接的に裏づける史料は今のところ存在しないからだ。

日本側の主張にも疑問が浮かぶ。江戸時代初期、鳥取藩の町人が幕府の許可のもと、竹島を中継地に鬱陵島周辺で漁業をした史実から「遅くとも17世紀に領有権を確立」とする見解がその一つだ。鳥取藩はその後、幕府の照会に2度、「竹島(当時の名称は松島)は藩に属さない」と回答している。それを踏まえて幕府が出した鬱陵島渡海禁止令は、竹島を含めて日本領土外と見なしたと解釈するのが自然だ。

明治期を見ても、1877年に明治政府の太政官が地籍調査に関して出した「竹島外一島は本邦に関係なし」とした指令▽竹島編入に慎重だった内務省の姿勢など、日本の領有意思に疑いを挟む史料が存在する。「1905年の編入は、近世の領有意思の再確認」と主張するのは無理がある。

結局、現段階の史料研究の到達点では、日本編入時に竹島がいずれかの国に属していたという決定的論証はない。その限りでは、「無主の島」を取得したという日本の主張は、当時の国際法に照らして形式上は有効となりうる。

だが、慎重な判断を要すべき史実もある。

韓国では近年、日本が領土編入する直前の1900年前後に、鬱陵島の朝鮮人が竹島周辺で漁をしていた史実の発掘が精力的になされている。「独島」という呼び方は、その頃の記録に初めて現れている。日本編入の契機となった隠岐の実業家の建議の背景には、朝鮮人漁民との競合があった可能性を想定する必要があるかもしれない。

さらに、日本編入の翌年にその事実を知った大韓帝国の大臣らが「独島が日本の領土というのは全く根拠のない話」と述べ、調査を命じた公文書が存在する。それ以上の記録は見つかっていないが、大臣らの対応ぶりから、日本の編入手続きの前に、韓国が竹島を自国領とみなしていた可能性は捨てきれない。

だとすれば、日本に抗議しなかったのはなぜか。植民地化に向かう動きと関係していたのか、別の事情があったのか。当時の大韓帝国の判断構造を解明する必要がある。

このように1905年の日本の編入手続きは、微妙な課題を含む。にもかかわらず、政府が「無主地先占による編入だ」と開き直っていてもよいのだろうか。論拠に疑いのある見解を教育現場に持ち込むことも問題だ。むろん、それは韓国側にも言えることだ。

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