2013年2月4日月曜日

竹内四、「松島開墾願」を援用した解釈について


四、「松島開墾願」を援用した解釈について

 杉原レポートの③が検討の対象としている明治一四年
の「松島開墾願」に関連する一連の文書は、島根県・内
務省・外務省のそれぞれの文書担当者が明治一〇年の
「太政官指令」に関連する文書を引用しながら、新たに
開墾願の出されてきた「松島」(鬱陵島)のことを取り
上げて論じている行政機関の間の照会・回答の文書類で
ある(この史料も前掲の『竹島関係資料集・第二集』に
収載されているが、原典は外交史料館所蔵「朝鮮国蔚陵
島へ犯禁渡航ノ日本人ヲ引戻之儀二付伺 自明治十四年
七月至明治十六年四月」である)。

 この明治一四年の文書類を虚心に読めば、当時の文書
担当者たちが各書で使われている島名について何ら混
乱することなく文書をやり取りしていることがたやすく
見てとれる。彼らは、明治一〇年の「太政官指令」にあ
る「竹島外一島」と明治一四年の「松島開墾願」で使わ
れている「松島」とを的確に弁別して文書を交わしてい
るのである。

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