2013年2月4日月曜日

竹内 島根県の上申書の内容



 島根県の上申書の内容

 次に、島根県から内務省に提出された上申書(明治九
年一〇月一六日付の「伺」)の内容について詳しく見て
みると、この文書は、全体が三つの文書と一枚の地図か
ら成っている。
 ア、上申書の本文(用籤1枚)。
 イ、アの中に「別紙乙第二十八号」と書かれている内
   務省から島根県への照会文書の写(用便1枚)。
 ウ、アの中で「別紙原由之大略」として参照が指示さ
   れている「竹島」渡海について説明した文書(用
   便3枚)。
 エ、アの中で「図面」として参照が指示されている「磯
   竹島略図」と題された地図(1枚)。

 この島根県の上申書は、この後内務省と太政官で作成
された文書類と共に島根県総務部総務課編『竹島関係資
料集・第二集』に翻刻されており、またその影印(写真
版)を内藤正中・朴炳渉「竹島=独島論争」で見ること
ができるが、それらの文書中に「竹島外一島」の「外一
島」がどの島を指すのかについて直接島言及した記述は
見当たらない。この島根県の上申書の記述の中で唯一「外
一島」に該当しそうな島は、次に見るようにウの中の「竹
島」渡海について説明した文章の中に出てくる「松島」
だけであり、その他には見当たらないのである。ウの文
の書き出し部分には最初に「竹島」のことが書かれてい
るので、そこを含めて改めて引用しておきたい。

 「磯竹島一ニ竹島ト称ス、隠岐国ノ乾位一百二拾里
許二在リ、周回凡十里許、山峻嶮ニシテ平地少シ、・・
(中略)・・次二一島在り松島ト呼フ、周回三十町許、
竹島ト同一線路二在リ、隠岐ヲ距ル八拾里許、樹竹
稀ナリ亦魚獣ヲ産ス」(傍線と読点は引用者)

 ウの文書のうち、この引用箇所を含む「竹島」「松島」
の地勢・産物等を説明した部分は、一枚の公文書の用能
(縦書き二六行、二つ折りにすると左右一三行ずつにな
るように罫線が引いてある)の一五行分を使って書かれ
ているが「松島」に関する記述はその中の三行分に過ぎ
ず、有り体に言えば付け足しといった感じである。
 またその記述の順序は、まず「竹島」のことが詳しく
説明され、その後に「松島」のことが手短に書かれてい
る。つまり隠岐(日本本土側)から見てより遠い「竹島」
のことが先に説明され、その後で「松島」のことを記し
ているのである。
 こうした二島の記述の順番やその説明内容の精粗と
いった差は、文書の表題で使われている「竹島」(主役)
と「外一島」(脇役)という表現に対応したものといえ
るであろう。
 またそのことは、この島根県の上申書の付属地図「磯
竹島略図」によっても裏付けられている。この地図を見
れば、これが大きな「竹島」と小さな「松島」の二島の
ことを示すために描かれたことは一目瞭然であり、しか
も地図の中に書き込まれた隠岐―「松島」問の距離
(「乾位 八十里許」)は、さきのウの引用箇所に書かれ
ている記述((隠岐ヲ距ル八拾里許)」と正確に対応して
いるのである。
 以上のことから「外一島」が「松島」(現在の竹島、
韓国名・独島。以下「竹島=独島」と表記)を指すこと
は確実であり、ここにはさきに述べた「一島説」のよう
な解釈が成り立つ余地は全くないといえる。
 ところが杉原氏は、本誌掲載の論文や杉原レポートに
おいてこの上申書に即した検討は行っておらず、それで
いながら「竹島外一島については「竹島と松島」か、当
時の鬱陵島の呼称から「竹島とか松島と呼ばれている島」
かは判断できない」{本誌第83号、p21)などと述べて
いるのである。

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