2013年2月4日月曜日
竹内一、問題の所在
一、問題の所在
今回の杉原レポートが扱っている「竹島外一島」の解
釈をめぐる問題とは、明治一〇(一八七七)年の「太政
官指令」で「竹島外一島之儀八本邦関係無之」とある中
の「竹島外一島」とは、どの島のことを指しているのか
という問題である。
この「竹島外一島」という表現が最初に使われたのは、
明治九(一八七六)年に島根県から内務省へ提出された
上申書「日本海内竹島外一島地籍編纂方伺」(同年一〇
月一六日付)においてである。この表現は、次いで内務
省から太政官へ提出された上申書(明治一〇年三月一七
日付)の表題の中と、それを受けて太政官の事務方(調
査局)が作成した稟議書(同年三月二〇日付)の本文の
中においても使われた(太政官とは、後の内閣に相当す
る当時の国政の最高機関の名称)。
右の三文書の中で「竹島外一島」の「外一島」につい
て具体的な島名に言及しているのは、最初の島根県の上
申書だけである。後の二文書は、表題や本文の中で「竹
島外一島」という表現を使っているが、その記述内容は
もっぱら「竹島」に関するものであり「外一島」につい
ては何も書かれていない。後述するが「外一島」は、そ
の具体的島名が省略されていることからも推測されるよ
うに存在感が乏しく、そのため担当者の関心を引かな
かったのではないかと想像される。
「竹島外一島」の一般的解釈
「竹島外一島」の具体的島名については、最初の島根
県の上申書に添付された付属文書の記述から「竹島」の
方は、江戸時代前期に米子の町人が渡海していた「竹島」、
すなわち朝鮮の鬱陵島(ウルルン島)であることがわか
る。また「外一島」については、島名を直接的に明示し
た記述はないが、やはり同じ島根県の付属文書の中で「竹
島」の説明に続けて「次二一島アリ松島ト呼フ周回三十
町許竹島ト同一線路二在り隠岐ヲ距ル八拾里許」と書か
れていることから「松島」(現在の竹島。韓国名は独島)
であることがわかる...以上のような解釈が「竹島外一
島」についての今日の一般的解釈といえるであろう。
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